第32話 ごめんなさいとブルキナベ / Oh, sorry.


「僕はもうすでに20カ国は旅して来ましたよ」




「へえ、それはすごいね。」




「いろんな国の色んな文化を肌で感じたいんですよ。」




年が明けて2011年(1人での年越しの侘しさは書きたくない)。

私は1人の日本人大学生と出会った。彼は海外旅行が趣味で、旅先で出会う様々な人々との交流を楽しんでいた。

若さ。というものだろうか。自分が年を取ったとは思うが、年寄りだとは思わない。若い人にも、体力はともかく、負ける要素が見当たらないとすら自負している。しかし、感じる。若さ、と形容するのが尤も相応しいこの感覚。


良いものだ。自分が歳を重ねたからではなく、彼が幼いという意味でもなく、感覚として感じる、若さという風。




「で、ブルキナファソへは何しに来たんだい?」




「ホームステイをして、まあ語学研修と言ってもフランス語はできますし、あえて言うなら、異文化交流でしょうかね。」




「そうか、フランス語が堪能というのはうらやましい話だよ。」




「でですね。今はモシ語を習っていますよ。そのなかで、面白いことに気がついたんです」



彼が言うにはブルキナファソの主要部族、モシ族には「ありがとう」と「ごめんなさい」が無いという。ブルキナファソの人々(ブルキナベ)は農耕民族だ。そこでは「助け合い」はすでに前提で織り込み済みのこと。何か困ったことがあったら、手を差し伸べるのがあたりまえ。わざわざ口に出すまでもないのだと。「しょうがないな」の一言で、済んでしまう。


ふーん、そうかな。そういう側面はあるかもね。


じゃあ、「ごめんなさい」は?

これはアフリカの人に良くある癖で、とにかく言い訳しまくる、言い逃れしまくるのだそうだ。このときはおっとりとした農耕民族も、好戦的になるだと。


ふーん、まあそういうところもあるね。



「いろいろな国を見てるから、だいたいその土地の人の感じはすぐに掴めるんですよ。なんて言うんですかね、sorryという言葉自体はあっても、そこに大した意味が無いというか。現地の人の家にホームステイして長いですし、気持ちは通じていると思いますよ。僕が言いたいのは単語としてあるかどうかではなくて、心の中でどう解釈するかということですよ。本質的な意味でね。その意味で、彼らは口では謝罪するけど、実質にはごめんなさいとは言っていないんですよね。・・・・・・云々」




彼は某有名大学に在学しており、語学も優秀。海外経験も豊富だ。弁もたつし、論理構成も良く出来ている。しかしそこが落とし穴だ。すぐに自分の世界の定規に照らし合わせて、そこで整合性がとれると、「こういうことだ」と分類してしまう。そして全部を理解した気になってしまう。


これもまた、「若さ」だ。




「老婆心ではないけれど、ひとつ良い話をしよう」



「なんです?こういっては何ですけど、モシ族の歴史や風習、彼らの気性なんかはもう掴めましたよ?」



「そうかもね。まあちょっとほっこりする話だから、聞いて損は無いよ。」




・・私も年を取って丸くなったのかな。以前なら、論理武装した相手を徹底的に叩きのめしてでも、間違いを是正しようとしただろう。相手が傷つくなんて、知ったことではない、とね。まあ、これもまた、「歳を取る」ことの良い所かも知れない。



「・・・・・つまり?」



ま、そう急がないで。私の気性は決して穏やかではない。特に仕事中は。アフリカだろうがどこだろうが、自分のポリシーは曲げない。また一緒に仕事をするなら最低限の「仕事の品質」は保ってもらう。言い訳は許さない、妥協もしない。「できない」は許さない。とういう態度を取るんだ。



「まあ、それらは日本の社会人には当たり前だろうし、言うまでもないことじゃないですか?」




勿論そうだよ。でもアフリカでこれを求めるのは容易なことではない。

私のスタッフ達にはこれがとてもキツいことだった。何かにつけて私が雷を落とす。泣こうがわめこうが一向に引かない。やるまで逃がさない。冗談抜きで、私のスタッフは毎日泣いていたんだ。




「・・・・・・・」




もちろん、うっかりミスは誰にでもある。でもうっかりでは済まされないミスもある。明らかに職務怠慢であることもある。私は気まぐれだけど、避けられないミスに対してまで激怒するほど甲斐性なしでもない。でもスタッフ達にはそんなこと分からないんだよ。何かミスすれば、こいつは雷をおとしてくる、とね。まあ、行き過ぎは良くないけど、緊張感を持って仕事をするなら、それでいいや、と放ったらかしていたんだ。

そんなとき、そのミスは起きた。初歩的な連絡ミスから、出張の途中で身動きが取れなくなったんだ。しかし避けられない理由というのもあった。それはまあ省こうか。とにかく私のスタッフ達は戦慄していた。なぜなら、当時私が最も大事にしていたのは「時間」だから。恐る恐るではあったけど、そのとき彼(彼女)がつぶやいた。


「マムスグリ」と。

君のモシ語の辞書にはあるかい?マムスグリ




「そうですね、えーと、確か"マム"は"あなた"、"スグリ"は家とか屋根?じゃないですか?それが何だって言うんです?」





流石に優秀だ、その語学力には脱帽だよ。でもね、語学は所詮「語学」でしかない。伝えるべき「何か」と、受け取る「何か」を持っていなければ、無意味なもんだよ。通訳の仕事には向いてるかもね。いや、本当の意味では通訳の仕事にも就けないか。

マムスグリ、君の言う通り、「あなたの屋根」だ。これが何を意味しているか、本当にわからないのかい?これはね「あなたの屋根で私を休ませて」という意味だ。つまり「あなたの屋根で私を雨から守ってほしい」、「あなたが私のことを許したと、私にそっと教えて下さい」と言う意味が込められているんだ。


これがモシ族の「ごめんなさい」だよ。




「・・・・・・・・」




優秀なことは良いことだ、誇らしい。記憶力が優れていることも、語学に堪能なことも、素晴らしい。でも勉強という括りの中でしか生きていないなら、本を一冊持ち歩けばそれで済む。世界を旅するならば、そこに住む人を本気で理解したいなら、理屈よりも大事なことがあると、私は思う。





科学者たる私の言うことではないのかなぁ・・・







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