第31話 巷に雨の降るごとく我が心に涙降る / Il pleure dans mon coeur Comme il pleut sur la ville


「そのお皿、片付けてあげるよ?ムシュー」



「ん?そうか、ありがとう」



出張の途中、道ばたのマキ(簡易食堂みたいなもの)で食事をとっていた。メニューはリ・ソース、トマト味。こちらで一般的なトマトソースのぶっかけ飯だ。まあ、美味い所もあるが、大半がそうでもない。食えれば良いかな、という時に食べる。それでも油たっぷりのソースに些か胸焼けがして、半分程度は残していた。それを陰からずっと見ていた子供が、「片付けてあげる」といってよって来たのだ。



以前にも紹介したが、彼は小脇に空き缶をぶら下げている。ストリートチルドレンだ。


このときの彼はこの写真の子ではありません。




彼は、私の皿の残りご飯を素早く空き缶へと放り込む。そして空いた皿を店の従業員に渡そうとした。その瞬間、すばやい平手打ちが彼を襲った。従業員が彼の小脇から空き缶を奪おうとする。彼は抵抗し、なおも平手打ちを食らう。


私は「やめろ」というのを寸前で堪えていた。店側からすれば、私の行為こそが「やめろ」の対象だと悟ったのだ。これが癖になると、ストリートチルドレンが寄ってくる、それは店側にとって営業妨害に等しいのだ。私は自分の軽率な行動を悔いた。


ドライバーのヌフ(65歳)でさえも、間に入ることができない。見ているしか無い。これは彼らのビジネスであり、干渉できないことを知っているのだ。非難されるべきは、私だった。私は堪らずに席を立ち、タバコを吸うために外へ出る振りをして、彼らの間に割って入った。そしてその瞬間に子供は逃去り、私は「悪いな」という苦笑を従業員に向けて、灼熱の太陽の元でタバコに火を入れた。




時々、こうした現実を見せつけられる。心が痛まないほど擦れていはいないのだが、悩まされるほど純粋でもなくなった。これは「生きる」という現実の一面なのだ。理学の世界に生き、世界で誰も知らない謎を手中に収める興奮に魅せられた。その過程で、評価されにくく、独りよがりになりがちなその世界に疑問を持つようになった。隣の実学の世界は、自分たちの成果がどれほど目の前の人々を助けるのかを、ひたすら鼓舞していた。そんな実学の世界を覗こうと、私も農学へと足を踏み入れた。


されど、実学の世界といえ、目の前の彼らを直接に救うことができずにいる。私のプロジェクトのお金があれば、彼らストリートチルドレンを学校に通わせ、まともな職に就けることも出来るだろう。しかし、その人数は限られる。どうやってその子供達を選ぶのか。それには意味があるのか。私の心は、No、と言っている。あえて「心が」と書いたのは、その理由を理論化できていないからだ。口には出せない。こんなとき、純粋に真理を探究するためだけに研ぎすまされる、あの理学の世界が美しく見える。同時に、それがある種の「世界の現実」とは隔絶された世界であることも今は理解できる。私の根っこは理学屋だ。だから必要以上に感傷的にはならないし、即座に援助だ、ODAだ、とお涙頂戴の理屈には傾倒しない。その金がどう使われるかを、この目で見ているからだ。


私の進めているプロジェクトは、この現実の世界に幾ばくかの変化をもたらす可能性を秘めている。それも、直接に貧困層をターゲットとした、そして、彼ら自身で実行/継続できる手法として。それが私を支えている。しかし同時に、その過程は「理学的に」さして美しくない。美しくないとは、「極めて独創的で、誰も考えたことが無い研究」というわけではない、という意味だ。だから、他の人に、「あなたの仕事はとても素晴らしい」とか「とても意味のあることをしている」などと表面的に言われても、私には何も響くものが無い。



「コーラをもう一本くれ」


灼熱の大気は暴君のように大地から水を奪う。いつしか、心まで枯れそうになる気がした。私は慌ててコカコーラで喉を湿らせた。こんなときは、冷えたビールなどを煽れれば、多少は気分が晴れるのだろう。しかし、私は飲めない体質だ。こういうときは、タバコが辛い。






「きゃははあ、やめてよ!」



「あはは、こっちよ!」

乾期でも枯れない川は、ブルキナでは珍しい。そのひとつが、黒ボルタ川だ。プロジェクトの進行状況の確認と打ち合わせを兼ねて、ナイジェリアから里村博士が来たとき、相棒のイサカは我々を大好きな釣りに誘った。以前にも書いたが、私も太公望を自負している。二つ返事で釣り道具を持参した。


私が住んでいるSaria村から2時間ほどで黒ボルタ川の釣りポイントに着く。黒ボルタ川には、カニを取るためのアミが仕掛けてあり、それを引き上げるために、少女達が腰まで水に浸かって作業をしていた。しかしまあ、この気温、年端も行かない少女達だ。当然ながら、水遊びを兼ねた仕事というわけだ。



それを眺めつつ、私は次々にナマズや名前も分からない魚を釣り上げて行った。一回の投げ込みで、ほぼ確実に1匹の魚を釣り上げる私に、地元の釣りキチである子供らは驚きを隠さなかった。すぐに私の周りを取り囲み、その一挙手一投足を固唾をのんで見守っている。時には私が魚を外す間に、私が投げ込んでいた場所に自分たちの釣り糸を投げ入れたりしている。結構、邪魔だ。


その様子を、少し離れた場所から里村が眺めていた。彼も私同様の釣りキチだが、朝から熱を出して、半ば休憩がてらに釣り糸を垂れていた。その顔は、発熱と無関係に寂しげだった。その理由を私は知っている、いや、共有している。だから、何も言わない。イサカも自分の釣り糸に集中しているが、恐らくは彼も気がついている。しかし男達は何も言わない。ただ、釣り糸を垂れ、その時間を共有するだけだ。



里村が帰った後、私のスタッフのオノが言った。



「Dr. 里村は仕事をしているときとは別の顔がありますね。何だか、とても寂しそうな。」



「さすがに女性だな、オノ。彼は家族を日本に置いてきている。その寂しさはなかなか隠せるものではない。だが、彼もプロだ。周りには隠し通すさ。気がつくのはそれを共有する者と、君のように鋭い女性だけだろう。」



「彼の心には雨が降っているのですね。」



ほう、なかなかエスプリの利いた、味なことを言うじゃないか。



「最近はSaria村も雨ですね。」



・・・・それは余計なお世話だ。




乾期のブルキナファソ。雨は、あと数ヶ月は降らない。ここだけでも湿っぽくしておこう。

















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