第35話  科学者への希望の郵便 / The mail for Scientist

「なに!?暑中見舞いだと?馬鹿野郎!そんな物はいらん!!研究者はな、そいつの論文を読んでいれば、今何をしているのか、元気なのかは分かるんだ!」



「はあ、すみません」



阿弖流為アテルイと読む、私が付けられたあだ名)!こんな無駄な事で電話するな!そんな暇があるなら論文出せ!それで、何か面白い報告は無いのか!?」



とほほ、な苦い記憶である。ある特殊測定に私が従事していたとき、この特殊機器の専門家であり、理論と測定のイロハを私に叩き込んでくれた先生との会話である。この方は関東の方で(私の師匠とは別の人、旧帝大卒は同じだがこちらは東大)、目下の者の名前を覚えるのが苦手だとかで、すぐにあだ名をつけてその人を呼ぶ。私は東北出身だったから、「アテルイ」となった。この先生はまた、かなりの切れ者であった。研究者で切れ者であるとなると、まあ大体人間的にどこかしら面倒な所を持っている。このときも、例年にない猛暑で、高齢な先生を心配して電話でご機嫌伺いと思ったのだが、上記のような雷を落とされた訳だ。電話の声は激高しているようだし、言葉も決して穏やかではないが、これでも先生は「俺は元気だ、心配いらない。それよりお前は元気か?」と言ってくれている。この癖の強さで、上の人とすぐに喧嘩をして、能力の割に出世しない方だった。私もまた、ナケナシの野心に燃え、某有名研究所で肩で風を切っていた頃の話だ(今思い出すとちょっと恥ずかしい)。


3月のブルキナファソは気温が40℃を軽く超え、湿度が低いと言っても、かなり暑い。猛暑の日々は猛暑の夏の記憶を蘇らせる。



「よし次の案件だ。各地方農水局への根回しは済んだな?」


「それがKayaの事務所からまた活動費についての文句が来ています」


「またか、うちプロジェクトは研究プロジェクトだ。援助じゃない。そう言って断るんだ」


「はい。ドクター」



「次はNigerへの出張に必要な国際出張命令書はどうだ?」



「はい、あとは所長のサインだけです。来週水曜日の便でこちらに届きます。」


「信用できない。水曜日にワガに出張するぞ。そこで他の打ち合わせといっしょに私が直接研究所本部に行くから、書類を私に手渡すように手配しろ。」




ブルキナファソでは郵便局はあるのだが、日本の様な正確さはない。皆無だ、と言っても良い。そのため、通常からブルキナベは長距離バスの定期便の運転手に小金を渡して、いっしょに荷物や手紙を配送してもらう。これが一番確実で早いという。確かにこれなら、電話でバスの到着時刻を相手に教えておけば、バスの発着所で数時間のうちに郵便物を受け取る事ができる。しかし、それだと、何の為の郵便局なのかな、と思う。


震災後、日本各地に散った同窓生、研究仲間、後輩達から続々とメールが届いた。メールは国内に限らず、アメリカ、イギリス、ブラジル、中国、イスラエル、と戦友達が渡航した先からも寄せられた。ありがたいことだ。私は不安定なネット回線から、必死で皆にメールを打った。日本国内のニュースは知らないが、こちらで見る事が出来たのはBBC,CNN,France24などのニュース映像だ。日本国内と海外のニュース映像の一番大きな違いをご存知だろうか。今回の震災で言えば、「死体を写すか、否か」であろう。こちらでみる映像は、空爆を受けたアジア、と言われても分からない様な映像であるのは日本と同じだが、あちらこちらに映し出される累々たる死体の映像だけが日本とは違うだろう。気が滅入る。また、馴染みのある隣県の福島、が「フクシマ・フクシマ」とカタカナで発音され、連呼されるのには我慢ならなかった。自分の身内が外部の者達から貶められている気がしたのだ。



私はテレビもラジオも消して、仕事に集中していた。今、私にできることは何も無い。冷酷かも知れないが、事実だったのではないか。3月には大小多数の打ち合わせ、会議、私の研究所本部への提出書類、次年度の活動計画書の提出、予算案の作成、その他諸々、と盛りだくさんの状況だった。それでも私はさらに、5月の休暇明けに予定していたNiger(ニジェール)への出張も3月に付け加えた。Nigerはブルキナファソのとなりであるから、車でもほぼ一日で行く事ができる。こちらのstaffは基本的に西アフリカ国内であればパスポートを必要としないのだ。特に国立の研究機関のスタッフであれば、研究所が公式に出す国際出張命令書を持っていれば、国境でのやりとりも問題が無い。私だけがNigerのビザを申請していた。そのためのやり取りがブルキナファソの国立研究所と緊急で行われ、私はごり押しで寄り切った。忙しさに自分でさらに首を絞めた形だ。理由は簡単。自分自身から考える時間を奪っていたのだ。



忙しさが私を支えていた。次々に舞い込む仕事、意味の分からないトラブル、出張に打ち合わせ、報告書書き。ちょっとでも時間が空いてしまうと、「俺ならこうする」「こういう事態にはこう動く」などと、もし私が大学の助手を続けていた場合の震災への対処を考えてしまう。あのラボのあの機械は地震後に動き続けると、エラーで水素ガスが発生してしまう、すぐにポンプを手動で閉めねば、あのラボは危険な薬品が多い、窓を全開にして立ち入り禁止にせねば、近隣の人が困っているはずだ、体育館を解放して避難所にしなくては、自衛隊松島基地から人が出ているはずだ、彼らの宿泊地も大学内に設置するのだ、そうすれば人手が稼げる。非常時の大学の備蓄食料を再整理しなくては、まずは非難している人と学生を腹一杯にするのが先決だ、などなど。意味の無い事なのだが、考えてしまう。私は歴代の助手の人たちに負けないほど、大学内に精通しているつもりだった。




「止めよう。先生達とて修羅場を越えて来た猛者ばかりだ。大丈夫だろう。」



休日になると、仕事は一旦ストップして、貯まった家事をこなす。デスクワークが多いときは身体を動かす時間がとても大切だ。汗だくになりながら、1人には広すぎる家を隅々まで掃除して洗い物を片付ける。ハルマッタンを経てみて、大きな問題点を見つけていた。それは天井の隅から絶えず埃が落ちてくる事に気がついたのだ。通常はほとんど風も吹かないから、気にならなかったのだが、ハルマッタンの強風が吹くたびに、天井の四隅から埃が落ち始めた。四隅にはそれぞれ壁に塗りたくったペンキが溝を塞いでいたのだが、乾期の尋常ならざる低湿度はペンキをボロボロにしてしまい、空いた隙間からペンキのカスと埃がまい落ちる事になった。なんせ、築30年の家だ。


首都出張時に買い込んだシリコンシーラントをコーキングガンにセットして、私は家中の隙間を埋めて行く。汗だくになり、梯子をかけ、天井の4隅を必死で埋めて行く。そのうち、疲れで腕が震える。こんなことは研究所に言って、業者にやらせればいいのだが、10ヶ月の現地経験はどのような家のトラブルであれ、外注するとろくな事にならない、と私に教えてくれていた。温水器を直させたときには、3日後に回路部が火花を吹いた。これに温水器のパイプから水漏れが加わり、辺りには220ボルトの火花が花を咲かせていた。だから、私が匂いで漏電を関知していなければ、トイレに入ったついでに死んでいただろう。私は植物学者だが、高校は工業高校で機械と電気工学を叩き込まれている。電気と水が反応するときの匂いを誤ったりはしない。まだある、エアコンの水漏れを直させたときも、冷媒ガスを誤って抜いてしまい、猛暑の中エアコンが使えなくなったりした。また、水道の圧が低くなって、ろくにシャワーが浴びれなくなったときは、水道管のフィルターの目詰まりを私が指摘したが、業者は見当違いに水道管を掘り起こし、更にはそれに傷をつけて、庭一面が水浸しになった。これなら私が修理した方がよっぽど早いし、ストレスも無いと言う訳だ。


ついでにニジェールへの出張準備もしてしまう。とはいえ、3日程度の視察になるから、準備は簡単だ。これが終われば、後は日本への帰国が待っている。二つのトランクはすでに準備ができており、玄関の脇に並んでいる。中身はスカスカだ。なんせ、こちらから持ち帰るのはお土産物くらいで、あとは戻ったときに使う物ばかりだから、置いて行けば良い。むしろ、東京に着いた時点で、買い出しを行い、宮城へ向かう前に救援物資を調達する必要があった。米やカセットコンロ、東京に居る義兄にお願いして事前に買い出しをしておいてもらう手筈だ。このときはまだ、東京から仙台への移動手段すら無い状況で、福島を通る事が難しそうだったから、大学時代の同級生に協力してもらい、新潟から山形を経由して仙台に向かう準備を進めていた。ガソリンが枯渇しているなら、歩いて行く、そう決心していた。


「ドクター、ニジェールには私の車を使ってくれ。」



「いいのか?イサカ。それは助かるよ。俺の車はいつ止まるか分からんし」



相棒のイサカはメリンダ・ビル・ゲイツ財団のプロジェクトにも参加しており、最近30年間使い込んだNISSAN PatrolからFordの新車に乗り換えていた。普段なら羨ましいとか、皮肉とかを言う所だが、イサカほどの科学者が今までボロボロの車に文句言わずに乗っていた事の方が凄いし、彼が新車を手に入れるのは誰も異存が無いことだった。しかも彼は私にレンタルした研究所の車が度々トラブルを起こし、私が怒っている事に気を使ってくれているのだ。それに加えて、2月に起きた学生デモはブルキナファソの国民に火種を残した。3月に行なわれた若い軍人の暴行事件に対して、当然の事ではあるが、裁判所は有罪を言い渡した。これに対して、各地の陸軍駐屯地で不穏な動きが見られる、と新聞が警告していた。ニジェールに向かう途中の都市、Fadaには大きな陸軍キャンプがある。この付近で車のトラブルが起きるのは危険である。学生デモと軍人の裁判はまったく別件に見えるが、デモが起こした動乱の火種はいつ軍部の若者に飛び火するか、予断を許さない状況だった。また、ニジェール国境付近には、盗賊や山賊、果てはアルカイダの一部が外国人を狙った誘拐事件を起こす事が度々ニュースで報道されていた。だから、国境を越える車の運転手は、近くのレストランで集まり、即席のキャラバンを編成して国境を越えると聞いていた。この付近での車の故障は文字通り、死活問題になりかねない。私としても他の新車をレンタルしてでも状態の良い車を準備するつもりであった。渡りに船の申し出であった。



思えば、陸路で国境を越えるのは初めての経験である。島国の日本人特有の物かも知れない。3月下旬、イサカに借りた新型のフォード4WDと中堅のドライバー・ウスマンを伴って、私はニジェールの首都ニアメーに向かった。国境と言っても、あっさりとしていて、道にゲートがあるだけ。景色もブルキナファソニジェールでは何も変わらなかったから、どこからニジェールなのか、さっぱりわからなかった。しかもニジェールのビザを取って来たのに、一度も使う事が無かった。ビザの申請料を損した。




今回のニアメー出張の目的は、これから共同研究をする研究所の「分析能力」を査定する為だ。ブルキナファソの実験の中には、土壌肥沃土を測定する項目があるのだが、Sariaの実験室は埃まみれで、トカゲやネズミが出るし、器具に砂埃が着いている様な実験室のデータは信用できない。しかたなく、外注で測定をしてくれる研究所を探していたのだが、私の研究所の本部に送付するよりも、ニアメーの姉妹研究所にサンプルを送付する方が安いと見積もりが出た。そこで、その研究所の知り合いに連絡をして、「視察」を行う事にしたのだ。




「研究所、とりわけ何かしらの分析を行なう実験室において、最も重要な物は何であるか?」




「やはり測定器とそれを扱う科学者の力量です」




私は修行を兼ねて連れて来たスタッフのオノに、聞いてみた。彼女の答えは不正解。安定した電気、高額な測定機器、豊富な試薬、物品などなど。これらも不正解だ。どれも重要だが、「最も」では無い。答えは「水」である。少なくとも私は学校でそう習った。あらゆる試薬の溶媒となり、また、実験が終わった後の機器を洗う際にも必要となる、水。私が実験を習った生化学の先生は、「自分が実験をする場合、その施設で最も高純度な水しか使うな!」と教えてくれた。一般にはあまり知られていないが、少なくとも生物学の実験者は何種類かの水を使い分けている。試薬調合に使用する超純水、人口気象室の噴霧器などにも使用される高純水、他にも脱イオン水、純水、滅菌水、蒸留水にそして時には水道水だ。この実験の基本である水の扱いが出来ていない実験室は、そこから生まれるすべてのデータが怪しくなる。だから、これから訪れる施設も、水をどのように精製し、水を作る装置を如何にメンテナンスしているかを見れば彼らの腕を査定できる。極論すれば他の装置などどうでも良いのだ。



ニアメーにある某研究所。スタッフのオノはそれとなく水に関係する装置を眺めたり、写真を撮ったりしている。そうそう、そうやって科学者や技術者の力量を読めるようになるのよ。まあ、結果として、頼んでも良いかな、と言う感じだった。


Nigerへの出張は思わぬ副産物を与えてくれた。それはボチボチ高速なネット回線である。ここも国際研究所(国連機関)のひとつであり、それなりの装備が我々のゲストハウスにも付随していた。そこで思いもかけない、あるいは最高のニュースを得る事ができた。


私が努めていた大学は、本校(?)が東京の神田にある。その関係で、震災後は神田の校舎が石巻の大学の情報発信をしてくれていた。ネット検索を駆使して、そこに行き着く事が出来た。そこには大学関係者の安否情報があり、私の師匠や同僚が無事である事を知った。さらに研究所時代の同僚の方に連絡を取る事が出来、彼女が師匠からの伝言を預かっている事を知った。それは師匠が知り合いに向けた生存報告であったのだが、その文言に熱い物が込み上げるのを禁じ得なかった。



「みなさん、〇〇(師匠の名前)は生きております。津波は大学の手前で止まり、建物は無事でした。他は悲惨で凄惨としか言えません。しかし今日は震災後初めての郵便物が届きました。大学にきた初めての郵便、私宛のそれは、〇〇君(私の名前)の論文の別刷りでした。学者にとって大学にとって、これほど希望が湧き出る郵便物はありません。(中略)」



論文が掲載されると、その別刷りが著者に配布される。これは我々の伝統だ。私の論文がちょうど年末に受理されていた。その論文が届いたのだ。


私にできることが、あったのだな。






________________