第33話 神々の警告 / Messenger of God.


釣りの極意は待つことにあるという。これは良く誤解されている。ただ待てば良い、ということではないのだ。魚がきちんと餌に食らいつき、ハリがかかるまで、ハリが口の中に入るのを待て、ということだ。人にメシ時があるのと同じく、魚にも飯の時間がある。一般には早朝と夕方がそれにあたり、「マズメ」と呼ばれる、釣り師のゴールデンタイムだ。海の釣りではこれに潮の満ち引きが加わり、川の釣りでは天候と水温そして対象魚の習性が大きく釣果に影響を及ぼす。


また、釣り場をどこにして腰を下ろすかも重要だ。何も無い所に魚はいない。構造物があるところを狙うのだ。海ならケーソンの継ぎ目・カケアガリ・潮の流れが堪る場所などなど、川なら流木がある場所、支流の合流点、大きな木の影になっている場所、大きな岩の近くや流れが緩やかになる地点、更に水面への自分の影の映り込みやその角度にも注意を払う。渓流を狙うなら、ちょっとつまずいて、石ころでも水に落とせばその釣り場は一日使えなくなると心しておく事だ。


ここのように大きなため池になっている場合は、風がある日の水面を良く観察するんだ。水面は風に煽られて波を立てる。よく見ているとその波が一定ではないはずだ。波が伝わるとき、少なからず水底の影響が現れる。広く深さが均一な場所では小さな波が規則正しく動く。水底に構造物があると、その規則正しい波がわずかに歪む。場合によっては波が2種類に見える事もあるだろう。そのときは2種類の波の境界線に、水深の違いや流木が沈んでいたり岩があったりと何かの構造がある。


大きな魚は水深の深い流れの無い場所にいると思いがちだ。それは当たっているのだが、奴らが食べるのは小魚だ。小魚は比較的澱みの無い流れがある場所を好む。池と言っても流れが淀む箇所はあるんだ。普段はそこに大型魚がいるだろうが、お前らの装備ではそこまで糸が届かないだろう。ならば、魚のメシ時に小魚が集まりそうな場所(大事なのは小魚が多い場所ではない)と深みの境界線ギリギリを見極め、罠を張るのだ。




「ふーん。」



「・・・・あれ?リアクション薄くないか・・・これ奥義だぞ?」



Saria村からほど近いPoaという村。幹線道路沿いだがここの良い所は巨大なwater researve (ため池)があることだ。雨期の間は川の一部なのだが、その流れの途中を大きく穿っておく、そうすると乾期に川の水が涸れて、川が消失してもこのため池だけは残るのだ。そうなると普段川に住んでいる魚も水場を求めてこのため池に集まるというわけだ。絶好の釣り場だ。



以前は私が釣りをしていると、それは周辺の子供達(時に大人も)にとっては格好の見せ物だった。嫌になるほどの好奇の視線を浴びる事になる。しかし、ここPoaには2点だけ違いがある。一つは、ここで釣り友達になった奴が、周辺の学校の教師なのだ。つまり子供らにとっては(日本ではなくこっちの話だ)絶対に逆らえない存在なのだ。彼が一言注意するだけで、私を好奇の目でみるガキどもはクモの子を散らす。二つ目はこのPoaの長老と私が知り合いになったのだ。もともとプロジェクトのパートナーであるイサカの友達であった長老はササゲ豆の新品種を試そうとしていて、私が栽培法のコツや種子の購入を口利きしてあげたのだ。なんせSaria村から首都Ouagadougouに出る為には必ずこのPoaを通る訳だから、長老が道ばたのマキ(簡易食堂、自分で経営している)に座っていれば毎回挨拶を交わす仲にもなるわけだ。長老の客人となれば、誰も私に嫌な思いをさせる事は出来なくなる。ジロジロと私の一挙手一投足を冷やかし半分で見物するとかは論外なのだ。結果として、Poaでの釣りは誰に邪魔をされる事も無く極めて快適にできるのだ。



今日は日頃の憂さ晴らしに、5時起きしてこの釣り場へと釣り糸を垂れに来ていた。まあ、上には上がいて、学校の先生は私が釣り場に着いたときにはすでに3本の竿を出していた。その後、9時を過ぎると先生のバイクを見つけた生徒達がお手伝いを兼ねて、我々の釣りを見学にきたから先生に通訳を頼んで子供らに釣りの講釈をしていたのだ。ハリを上げると、魚がいようがいまいが、生徒達がさっと新しいミミズを付けてくれる。魚がかかるとそれを外して、同様に新しい餌を付けてくれる。う〜ん、贅沢な釣りだ。



子供らは私の講釈に一定の敬意を払いつつも、長い話には興味を失う。特に若い世代は、「教えられる」ことより「刺激を与えられる」ことを望むものだ。これは日本も同じだろう。年寄りの説教は効果が薄く(それが如何に真実を捉えていても)、刺激を求めてどこかへと出かけて行くのが若者の特権とも言える。9時を過ぎると魚の動きも無くなり、日差しが強くなる。私も竿から注意を逸らし、ふと周辺に目を向けた。そして、驚きで身が固まった。



「ばかな、こんな近くまで寄ってくる事は無かったのに・・・・」



そこには、池の主であり、何でも食べるブルキナベですら「神の使い」「聖なる生き物」として崇拝し決して傷つけたりしない生物、クロコダイルが甲羅干しをしていた。




写真は私が撮ったものですが、Poaのクロコダイルではありません。参考まで。




神の使いはもの言わず、私を見つめていた。そう、このため池には数十頭のクロコダイルが住んでいる。ちょっとスリルのある釣り場でもあるのだ。しかし、普段は私が釣り糸を垂れるコンクリート製の岸には寄ってこず、反対側の草地で甲羅干しをしているはずだった。今にして思うと、これが神々の警告だったのかも知れない。



2月下旬、私は浮かれ気味にブルキナファソの首都Ouagadougouの工芸村(アーティスト村)に居た。日本の友人達へのお土産物を買いに来たのだ。そう、私の年次休暇(Anuual leave)が近づいていたからだ。私の所属するような国際研究所では、主たる所属科学者は外国人だ。アフリカの研究所に居ると、何だかんだで有給が貯まる。ほとんどがアフリカに国籍を持たない研究者だから、休暇を取得するとなれば、それぞれの母国へと帰りたいのが人情だ。しかもこちらでは、有給や休暇の感覚が日本とは違う。それは文字通りのバカンスを意味しており、帰国の為の往復チケットはすでに契約時の年俸に含まれている。公費で帰れるのだ(年1回だけだが)。


だから、有給を1年貯めて、丸々1ヶ月ほど休暇を取って母国へと帰り、ゆっくりと英気を養うのが普通なのだ。私にとっては初めての海外暮らし、他の研究者と違って、たった1人で支所も無い国で1年間奮闘したのだ。郷愁の念にかられるのは当然だ。仕事のためとはいえ、結婚して1年足らずの妻と生後3ヶ月の息子と離ればなれになったのだ。「もうすぐ会える」と言う感覚は、自分が想像していた以上に大きなものだった。気がつかないうちに、嬉しさが周囲のスタッフ達にも伝わっていたようだ。



「ドクター、最近は生き生きとしていますね。」



「そうか?いつもと同じだと思うが。」



「家族に会えるのは誰でも嬉しいのもですよ。どことなく寂しげな上司を見るのは私たちもつらいですから。」



ふーん、そんな風に思っていてくれたのか。嬉しいけど、私もまだまだ修行が足りないな。悟られるとは。


「でもブルキナの神々が許しますかね?神々はドクターがブルキナを離れる事を望まないようですよ?」



やめてくれよ。何か冗談に聞こえないのだよ。これが第2の警告だった。


不思議な事だが、この数十分後、私は何を思ったのかエールフランスブルキナファソ支店に来ていた。休暇を1週間前倒して、すでに4月と指定して予約していたチケットを、3月末の出発便に変更してもらう事にしたのだ。研究所にはあれこれと理由を付けて了承を取り付けた。普段の私には無い、大胆な、というか突拍子もない予定変更だった。


なぜこんな無理を断行したのか。家族の顔を早くみたい、それもあっただろう。息子の初めての誕生日に間に合いたい、思いのほか仕事の進展が良かった、これも理由だった。しかし、本当の所、私にもなぜこんな思いつきで行動したのか、よく分からなかった。



この「英断」は以降の2つの事件によって正当化されることになる。

別に正当化されなくてもよかったのに。









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