第30話 会議は踊る / Der Kongress tanzt




「ドクター?」



「ん?トイレだ。すぐ戻る。」



半分は嘘だ。トイレと称してタバコを吹かしに行くのだ。会議室は侃侃諤諤の様相を呈している。乾期の仕事のうちでも比較的重要なものがある。農閑期でもあるこのシーズンに普段は農作業やその他の仕事で忙しい人々を集めた会議を行うのだ。会議も様々あって、科学者同士が意見を交換するDiscussion主体のものは気が楽でいい。他にも私が世話になっている国立農業研究所の会議で私が進めているプロジェクトの紹介+成果報告があったり、研究のための実験圃場をおいている農村を管轄している地方農水局の局長達との折衝もある。前回出張したナイジェリアは、私が所属する国際研究所の本部があり、その定例会議に参加するためのものであった。



今回私が主催し、かつ、嫌気がさしてタバコを吸いにエスケープしているのは、ちょっと毛色が違う。これはStakeholders meetingと呼ばれる会議で、私が推進するプロジェクトに関係するStakeholder達を集めて、プロジェクトの広報、成果報告、問題やその解決策を探るのである。具体的には農業政策に関わる地方農水局局長、その上部組織である広域農水局局長、これに国立農業研究所で私の専門とするササゲについて国の政策を管轄する科学者、同研究所のササゲ専門の科学者数名、同研究所の社会経済学者が列席する。これだけ見ると、通常のちょっとお偉方さんの会議に見えるが、それだけではない。大規模種子生産農家、種子流通業者、農業案件にかかわるNGOの代表者、農業資材および種子の販売業者社長、私が訓練している種子生産農家(一般の農民達)がこれに加わっている。


少し前の種子生産の話でも触れたが、この国の種子生産体制を強化するのもプロジェクトの目的の一つである。しかし、だからと言ってブルキナファソの農業省やその大臣、次官連中と議論を交わすのは私の仕事ではない。最上位層の連中と政治的な仕事をするのは、大使館や国連、そして国際協力事業団の偉い人たちの仕事だ。私のターゲットはあくまで、最下層にいる農民達なのだ。



「なんだこの肥料は?こいつはフェイクだ。これはスリランカで使用が中止されている肥料で、カドミウムが混ざっている劣悪品だぞ。」



「えっ、そうなんですか。知らなかった。安かったから・・・」



「農民学校でも教えただろう?安い肥料や農薬は思わぬしっぺ返しをもらうことになると。これが良い例だ。こいつは施肥をするとき、そしてその後の農作物を食べるとき、カドミウムも同時に摂取してしまい、肝臓の病気になるんだ。」



「そっ、そんな・・・でも村の近くではこれしか手に入らんのです」




ある村で、収穫後の種子の保存方法を指導していたとき、保存されている肥料を見つけて驚いた。この(とある国製の)肥料は、先進国で禁止されている成分が入っており、規制が無いアフリカなどに大量に流入していると聞いていた、厄介な代物だった。国連とWHOが調査した所によると、ヒ素カドミウムが混ざっていて、施肥効果が低いだけでなく、肝臓病を引き起こすことがわかっている。しかしブルキナファソを始め、多くのアフリカの国々はまだまだ農薬や肥料に対する法整備が整っていない。その間隙をついて、かの国は劣悪品を安価に、大量に売り込むのだ。


かの国のやり方も嫌いだが、もっと大きな問題がこの会話の中に隠れている。それは「安かった」と「これしか無い」というキーワードだ。農民学校に参加してくれた生徒達は、農薬の危険性や肥料の効果を学ぶ。良く勉強している生徒達などは、共同でお金を出し合って肥料を購入したりしている。これもプロジェクトのトレーニングの成果ではある。しかし問題は、常に彼らが安価なものを求めてしまうこと、そしてそもそも劣悪な商品にしかアクセスできないことが問題なのだ。市場原理を考えれば、高品質な商品も売れなければ意味が無い。すると業者は最も需要があるもの(安いもの)しか仕入れない。結果として、良質な商品へのアクセスが制限される。しかし、ブルキナファソにもフェイクを嫌い、良いものを扱う業者がある。もう一つの問題は多くの農民達がその事実を知らないことだ。自分の村の周辺のことが現実で、それ以外のニュースはすべてラジオとテレビの中の仮想現実なのだ。



会議の出席者に民間の業者や大規模種子生産農家、そしてNGOの関係者を招いているのは、私が指導する農民達が自ら良い情報・良い商品へのアクセス方法を構築させるのが狙いなのだ。同時に自分たち以外の生産者や業者がどのような規模で、そしてどこで、どんな活動をしているのかを実際に本人達の口から聞かせるのだ。特に農業資材業者や種子を買い付けてくれる種子流通業者などとの関係作りは重要なことだ。本来これらの仕事は地方農水局や広域農水局の仕事であり、彼らが農民を助けるべきなのだ。そこの局長達を呼び出して、この様を見せつけているのは、暗に「お前ら仕事してないだろう」という私からのメッセージだ。



お偉いさんが嫌いな私だが、農村を管轄する農水局は無視できない。農民達の作物生産に直接に影響力を持つ彼らがヘソを曲げようものなら、私が指導する農民にも影響が生じるからだ。例えば、政府は種子生産農家の肥料購入に補助金を出しているが、これは地方農水局が実質取り扱っていて、彼らが協力しないと補助金が支払われない。従って、しぶしぶ彼らにも招待状を送ったという経緯がある。しかし、こいつらがこの会議を引っ掻き回しているのだ。会議の冒頭、私はこのプロジェクトのターゲットが小規模の農民達であること、これは援助政策ではなく研究プロジェクトであること(だから科学者である私がここにいるのだ)、あえて規模は最小(農村単位)にして経済効果を見ることもプロジェクトの目的であること、ブルキナファソの農業生産のいくつかの問題に対してこのプロジェクトの成果で克服する糸口を作れること、などを切々と伝えた。それに対して、ある局長が挙手して述べたのが



「で、私たちのper-diem(日当みたいなもの)はいつ払ってくれるのか?今日のホテル代も払ってくれるか?いくら出るの?」



私は言葉を失った。農民達の意見ならまだ我慢できる。しかしお前らは国の担当官であり、エリートではないのか。金欲しさに今日の会議に来たというのか。私の目付きが鋭くなり、眉間に皺が刻まれたのを、隣の席に座っていたDr. イサカ(私のパートナー)がすかさず見取った。


「まあまあ、マダム。その件は昼食のときにでも私から話しますよ。心配せずとも、きっちりと支払います。まずは現状の農業生産の問題点から提起して行きましょうか」



イサカは例え大統領が相手だろうと、この東洋人は自分が気に入らない相手に容赦しないこと、媚びへつらったりしないことを知っている。慌てて間に入ってくれたのだ。だいたいこの地方農水局の連中は気に入らない。何かというとエリート風を吹かせて、馬鹿の一つ覚えのように「プロコール(契約書)を作ろう」・「うちにはいくら落としてくれるのか」・「協力を望むなら出すもの出せ」と言った要求をストレートにしてくる。他のプロジェクト(海外資金)の連中は支払っているらしい、しかも私から見れば無駄で法外な金額を。さらに私は日本人ときている。金を持っていると見られているのだ。笑わせるな。私はそんなに大人じゃないし、無能な連中にくれてやる金など1銭も無い、このプロジェクトの金は日本の税金なのだ。



まあ、世事に長けた猛者から見れば、私のやり方は稚拙かも知れない。くそっ、分かってるいるはずだ俺だって。合理的に考えれば、多少の「交際費」は合法の範囲内だろう。それから得られる利益を考えれば。もっと上手く世渡りできてもいいはずだ、俺だって。自分の心の中に問う。



・・・・・ああ、そうだ、年を食うと取り戻すのに苦労する。理屈にならないこの感覚。わかってる、上手くやる方法は。でもな、ここで引き下がったり、妥協したりしたら、明日からまっすぐ歩けなくなるんだ。この言葉にできない感覚は、俺の背骨なんだ。



「何度も話していますが、このプロジェクトはユニークですし、決して農業省やあなた達のインフラを援助するためのものではありません。今日皆さんを呼んだのは、皆さんが管轄する農村にある問題点を整理し、種子生産農家の独立を如何に補助できるかを教えてほしいのです。」



私はイサカの機転に冷静さを取り戻し(内心は燃えてきているが)、もう一度会議の趣旨を提示した。すかさず、国立農業研究所Saria stationの所長であるDr. Lamienがchair manとして会議の流れを作り出す。事前に、会議が揉めたときは、私が怒る/イサカが仲裁/Lamienが会議の主軸を正す、という役割を3人で話し合っていたのだ。これこそ「根回し」というものだ。まあ冒頭から揉めるとは思わなかったが。



オドオドとしていた私のスタッフ達も安心したのか、会議の様子を写真撮影し始めたり、議事録を取り始める。各局長達は各農水局には何が足りていないのか、国政策のどこに問題があるのかを盛んに話し始める。Lamienは時折種子生産農家に話をふり、彼らの現状を上手く報告させるように仕向ける。巧くいっているように思えたが、だんだん雲行きが怪しくなってくる。そう、見慣れた風景が目の前に現れるのだ。




侃侃諤諤の様子。喧々諤々ではありません。念のため。



フランス語圏であるブルキナファソは、フランス人の議論好きの気質も受け継いでいるらしい。皆、話すのが大好きだ。とにかく話が長い。何か意見を言わないとアホだと思われるらしく、会議と関係のないことでもとにかく、自分の意見として発言しようとする。結果、会議が長引き、私の脳内ニコチン濃度が危険域にまで低下するのだ。



各村を回って、チーフ達に挨拶回りをしても、同様に話が長い。そして、私が嫌いなのは必ずと言っていいほど、陳情大会が始まるのだ。「あれが足りない」・「これが無いからできない」・「国の政策が悪い」といった言い回しが延々と続く。これが大嫌いだ。以前も書いたが、私は言い訳するやつは嫌いだし、何かのせいにして自分の現状を正当化したり、自分を悲劇の主人公にするやつが嫌いだ。こちらの会議はややもすると、この「言い訳合戦」・「何かのせいだから・・合戦」になってしまう。今回も例に漏れず、陳情合戦と言い訳合戦が始まった。



(なぜ、こいつらは意見をまとめるとか、流れに沿った議論ができないのだろうか。)



会議中、そんなことを考え始めた。彼らとて、ここで言いたいことを言いたい放題に言ったからといって、事態が善処するとは本気で考えていないと思う。そう思わせる内容なのだ。アフリカに赴任して、彼らの議論好きやてんで好き勝手に参加者が発言して、出た意見を取りまとめる気配すら見せない「会議」のやり方に戸惑う外国人は多い。我々がイメージする「会議」とは、特定の議題に対して意見を出し合い、最終的に意見を取りまとめたり多数決の採決が行われ、特定の答えを導きだそうとする行為だ。しかし、アフリカの「会議」や話し合いには、最初から意見の取りまとめだとか、まとめようと言う提案すらない場合があるのだ。



もしかすると、フランス語圏だから議論が好きとか、アフリカ人によくある「だめもとでも言ってみよう」、言い訳しとけば何とかなる、という気質に対する我々外国人の考え方自体が偏見なのではないだろうか。何かあるかもしれない。答えになり得るかは不明だが、ある本に書いてあった一文が興味深い見解を示していた。書名を失念したが記憶の限り引き出してみる。



「アフリカの人々(この本では西アフリカではなく中央アフリカに近い地域を指していた)は「言葉」に対して独特の感性を持っている。彼らは会議や話し合いを通じて、能動的に結論を出そうとしているのではなく、各自が口にした意見や言葉があたかも「呪文」のように作用し、それ自体がなにがしかの現象や結果を引き起こすと考えている。だから、一見すると各々がてんで勝手な主張を出来る限り言ってしまおうとしているように見えるが、それは発言し、言葉として人の前にそれを示すことが重要だからだ。」



日本的に言う所の「言霊(ことだま)」の考え方に近いだろうか。意外かも知れないが、言霊というのはきちんと英語にもある(the spirit which is present in words/ belief that uttering a thought breathes life into it などと言い回される)。それが現代の生活の中にも(彼らが意識するとしないに拘らず)生きているのかも知れない。そう考えると納得できる様な内容なのだ。それに何かアフリカの神秘みたいで面白そうだ。



「いい加減にしたらどうだ。こんなに時間をかけて、愚痴の言い合いをしても埒があかない。それなら我が"King Agro"は生産された種子を1000CFA/kgで落札して、さっさとブルキナ中に広めるぞ。」




おっと、意外にも私への援護射撃が始まった。口火を切ったのは、民間業者の社長達だ。さすがにビジネスマンだ。要点を心得ているし、即座に行動に移すことが出来る資本力も持っている。彼ら優良な会社がもっと農民とパイプを作ることが出来れば、と思い今回の会議に誘ったのだ(どうやってそのような「社長達」と知り合いになったかは企業秘密だ)。ヨチヨチ歩きを始めた種子生産農家からすれば、大会社を率いている彼ら社長達はまだ「海のものとも山のものとも」という存在だろう。だが、多少リスクを冒そうとも彼ら優良企業とパイプを作り、取引を始めるのは種子生産農家達の自立を促進するはずだ。



「だいたいこの国は我々民間業者が種子の取引に介入することを妨害している節がある。」



おお、そうなのか。これは初耳だ。良い情報が得られた。




「それはお前ら民間業者に任せておくと、種子の品質や管理に問題が生じるからだ。」



すかさず農水局が反論を始める。お前らの管理もずいぶん杜撰だぞ。



「そんなことは無い、農水局の横槍がなければ上手くやるさ。だいたいお前らの仕事が・・・・・」




あれれ、何かこちらも愚痴っぽくなってきたぞ。





「ドクター?」




「ん?タバコだ、皆にはトイレに行ったと言っておいてくれ」




会議は踊る、されど進まず。ウィーン会議(1814年)に対して、フランス代表だったタレーランが皮肉を混めて言った言葉だ。



会議は予定より3時間も延長せざるを得なかった。最終的には私とイサカとLamienが散々苦労して意見をまとめ、各々の代表者が役割分担を再確認し、来年の同会議に向けて達成あるいは改善すべき問題点を整理した。農民達は様々な意見や、お偉いさんの考え方、民間業者との繋がりを構築したから、まあ会議は成功と言えるだろう。





やっぱりフランスの文化かな、合わねーな私には。







___________________