第29話 青い稲妻が私を攻める / parched earth



「グ、グハッ!」




「ドクター!?」



「大変だ、ドクターが血を・・・・」



騒然となるオフィスとスタッフ達。流し台には私が吐き出した赤茶色の液体が流れている。流しの前のガラス戸には勢い余ったしぶきが赤い点々になり付いている。突然気道に入り込んだこの赤茶色の液体に、私の体が拒絶反応を示し、一気に口腔外へと吐き出された。




「な、何だ!?血?違う違う、これはうがい薬だ!」



そう、乾期のたしなみ、日に3回のイソジンだ。私が茶色い液体を口から吐いたものだから、流しの近くにいたスタッフ達が驚いてしまったのだ。考え事をしながらウガイをしていたからムセタだけだ、すまんすまん。




乾期のブルキナファソ、それはもうカラカラだ。ただでさえ、年間の降水量が600-800mm程度のSaria村は私のオフィスだ。さらにその96%は雨期の6月から8月の3ヶ月に降ってしまう。となると、他の日はすべて曇りか晴れしか無いのだ。道路(未舗装)は車やバイクが通るたびに濛々と土煙を巻き上げる。出張中などは、窓を閉め切っていても鼻の中が真っ赤になる(こちらの土は赤土なのだ)。そうなると、当然のように喉や目をいためたり、風邪を引くことが多くなる。私はこれらに対処するのに、日に3回のイソジン、仕事帰りには点眼薬で目を洗浄することを日課にしていた。これもプロの仕事のうちだ。






土色の世界がひたすら続く。もうカラカラ。




これに加えて、西アフリカは11月から2月頃にかけて、ハマターン(ハルマッタン)で有名な貿易風が吹き荒れる。この風はサハラ砂漠から吹いてくるもので、非常に乾燥しているだけでなく、風塵・砂塵を伴うことが多い。場合によっては目の前が(というか風景全部が)黄色の世界になる。中国の黄砂なんて多分比較にならない。これは写真に撮っても上手く写らないのが残念だが、なかなか(室内から見る分には)奇麗に見える。実際には視界が悪くなるため、都市部では自動車事故が増加し、目の病気や気管支炎の患者が増える、何よりどのような隙間からでも家の中に入り込むため、日々の掃除がえらく大変、など良いことが無い。一説には砂塵自体にある種のバクテリアが巣食っており、これを取り込むために肺炎や気管支炎になるとも聞いたが、詳しくは知らない。


ハマターンが吹かない日は、全体的に土色の世界だ。木々は力を失い、草花は跡形もなく姿を消す。残ったわずかな緑は飢えた家畜達に根こそぎ刈り取られる。唯一の救いは(救いになるのだろうか)、晴天の空が続くことだ。これほどに天気の心配をしないことがあっただろうか。なにせ、晴れの日しかないのだ。ちょっと雲が出ることがあっても、雨は降らない。ほんと、アホみたいに晴れの日ばかりが続く。



気温は相変わらずというか、ますます上昇し毎日が40℃近くまで上がる有様だ。これも1月から2月にかけては、北風が吹き込んでこちらの人が言うには「かなり寒くなる」らしい。だが、冷え込む前のこの暑さは、私にとっては終わりの無いアフリカの坩堝を彷彿とさせる。



まあ、気温だけを聞くと日本の方には気が遠くなるかもしれないが、意外と耐えられる。湿度が低いからだ。日本の夏は蒸しかえる様な湿気に、夏の日差しが相乗りし文字通り「うだる様な」暑さになる。しかしこちらは湿度が30%程度の「砂漠」並だから、かいた汗がすぐに蒸発してしまい、シャツなどを濡らすことはほとんどない(外にいれば)。結果、不快感はあまりない。また、直射日光が降り注ぐ外にいても、木陰などは存外に涼しい。植物の恩恵であり、植物学者である私の臨時喫煙所だ(タバコも植物の恩恵だ)。



ただ、気をつけないとあっという間に脱水症状になるから、気候になれていない私の様な外国人は、かいた汗の量を見誤り危ないことになる。しかしそれも慣れてくると事前に察知できるようになる。それが頭痛である。脱水症状はまず軽い頭痛を伴うためだ。体調不良も何でもそうだ。いきなりってことは無い、必ず先に「知らせ」があるのだ。



「20年かけてここまで育てたんだ。実の子供みたいなもんだ」


「じゃあ危険かどうかがすぐに分かるんですか?」


「スネル、ダダをこねる・・・・」


「機嫌の悪い日には朝食を食べない?」


「ああ、親に歯向かうにもいきなりってことはことは無い。必ず先に知らせがくる」



お好きな方にはお分かりでしょうか。なんせ中学生のときの記憶を掘り起こしているから引用が不正確かもしれないが、「オネアミスの翼」という日本のアニメ映画でエンジニア(工学博士)と主人公の会話から引いた好きな台詞です。確かロケットエンジンのテストをしていて主人公の「こんなに近くで見ていて大丈夫か?」という台詞に博士が答えるシーンだったと思う。工学屋らしい危機管理に対する哲学が隠っていて、当時工学屋を目指していた私の心に今も残っている。結局、子供(エンジン)の知らせを察知して自分だけ走って逃げた博士が、その直後のエンジン爆発事故で死んじゃうんだけど。


これは中2の夏休みに、たまたまテレビでやっていたものだ。内容はえらく哲学的で、とても夏休みの子供向けアニメとは呼べない代物であった(私は好きだけど)。宗教と政治、エンジニアやパイオニア達が求める理想と哲学、人間の深部と深淵が描き出されていた。結構えげつない映画だった(でも私は好き)。ついでとばかりに、これを題材にして夏休みの宿題で出ていた弁論文を書き上げたのも覚えている。なぜならその弁論のせいで、担任に呼び出されて不愉快な「取り調べ」を受けたからだ。



「なんか変な新興宗教にでも勧誘されたのか?」



「アホ言え。私は無神論者だ。」



内容は良く覚えていないが、確か「先駆者が求める理想と現実とは、その志と達成度が高いほどに政治的あるいは宗教的に利用され、最終的にオリジナルの作者の意図に反して脚色を施され、多くの聴衆の心を打つ美しい歴史として記録される。この意味で大業を成したるものは広義で宗教家であり、政治家である。先駆者として求められるべき資質である、気高い精神は失われる。そうでなくては歴史に残らないというのは人間の深部が露呈した結果だ。本能には記述されていない、嫉妬と憎悪、そして心の底では本当の革新を求めていないイヤらしき敗残者が高貴さを上手に覆い隠そうとする。歴史とはまさに高貴な精神が陵辱されたポルノに他ならない。」とか言うことを延々と原稿用紙6枚くらいに書いた気がする。



・・・・・中2の学生が夏休み明けにこんな小難しいことを作文で書いてきたら、教師は不安になるかもしれない。まあ、私は夏休み前からこんなだった気がするけど。思い起こしてみるとかなり稚拙だし、独善的で見識が狭い。いくら弁論文が好き放題を書いていいとは言え、悪ふざけが過ぎたかもしれない。今なら、「ただし、科学の報告書を除いては。」と付け加えるだろう。あ、いやどうかなぁ、言い切れないかも知れないのが悲しい。アフリカの長すぎる「夏」はときどき私に夏休みの思い出を呼び起こさせる。ボケる前に思い出した時点で記録を残しておこう。



乾期の話を続けると、確かに12月も暮れが近づくと、昼はともかく、夜は少しだけ冷えるようになってくる。といっても20℃を切るまではいかない。それでも湿度が低いために、ちょっと肌寒さを感じることはある。赴任当初、スタッフの強い勧めで「寒いとき用」の毛布を入手していた。まあ、マルシェで安物の適当な毛布を買っておいただけだ。しかし、これがまあひどい。中国製のペラペラの毛布だ。だが、厚い毛布だと寝苦しいし、ちょうどいいかも知れないと思ったのだ。


「知らせ」は突然訪れた。肌寒さを感じた夜、思い出してこの毛布を倉庫から引っ張りだしてきたのだ。そのとき、指先に痛みが走った。一瞬、蜂かサソリかと警戒したが、何も付着してはいない。この知らせをきちんと読み取るべきだった。


ブルキナファソの乾期は容赦ない。お肌が荒れるなどは、女性には大問題だろうが男の私にはそれほど苦にはならない。ひげ剃り後の肌が痛いだけだ。しかし帯電体質の私にもうひとつの悪夢を呼ぶ。そう静電気である。ドアはもちろん、鉄製のものに触れようものなら発電・発雷だ。これが結構イライラする。信じられないかも知れないが、蛇口を捻って水を出し、手を洗うとしよう。まずは蛇口でバチッ、水が出ると同時に痛みで手が引っ込む。ため息をつきながら手を水に当てた瞬間にバチッ。手を引くという動作だけで帯電できるものだろうか?しかし再現性(何度も同じ条件で同じ現象が再現できること)を確認したから、認めざるを得ない事実だ。


そんな私がペラペラの化学繊維の毛布に包まったらどうなるのか?まず体中の体毛が逆立つ。次いで体毛と触れていた生地が離れると、そこでバチッとくるのだ。寝ているのだから、寝返りくらいうつ。そのたびにあちこちで発電する訳だ。仕方なく、空になった虫除けスプレーに水を入れて、毛布の上からシュッと4回くらい霧水を打つ。が、これも焼け石に水、いや化学繊維毛布に水か。・・・・・寝られるか。あまりの不快感に私は起き上がろうとした。





「・・・・・美しい・・・・・」




真っ暗な寝室に、青い稲妻が走っていた。毛布がこすれ合う部分に静電気が生じ、火花を散らしていたのだ。これが幻想的でなかなかに美しい。



アフリカの乾期、恐るべし。いや、これ火事にならないのか?
諦めた私は洗濯済みのカゴからバスタオル2枚を出して、これで寝ることにした。あの毛布は?面白いから、またやろうと思い、かつ、だれか客が来たときにだまって貸し出そうと思って、大事に倉庫にしまってある。





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