第20話 旅立ちに向けて2 / start on a journey2



「こちらはAir Burkinaです。お客様の予約されたフライトはありません。」




「・・・・・・・意味がわからん。」



「フランス語ができないのですか?」



「いや、それもあるが、なんでE-ticketを持ってるのにフライトが無いのだ?」




無事にナイジェリアのビザを取得し、研究所のTS (travel support) を使って、往復の航空券を予約してもらっていた。すでにTSからe-ticketがメールで送付されて来ていた。後は乗るだけのはずなのだ。通常はre-confirmはしないチケットばかりを使っていたから、いきなり航空会社から電話が来て些か驚いた。そう、通常はフライト前に予約の最終確認(re-confirm)をする必要がある。



というか、すでに航空券を持っているのに、乗る飛行機が無いとはどういう意味だ?興奮して来て、英語で話し始める。さすがに航空会社のオペレーターは英語が通じるようだ(このときもっと真剣に彼女の英語を分析するべきだった)。




「どういうことだ?私のフライトがキャンセルされたのか?それとも何か急な事態が生じたという事か?」



「いえ、お客様の予約したフライトは存在しません。」



「存在しないチケットが予約できるはず無いだろう。ちゃんと確認しろ!」



「・・・はあ」




2時間後、再び掛かって来た電話は上記の会話を繰り返すだけに終わった。う〜む、まずいなあ。フライトは明後日に迫っている。研究所の全体会議のスケージュールには少し余裕があるけれど、なるべく早く着いて疲れを取っておきたい。なんせ普段はフランス語と現地の部族語、そして英語の師匠には怖くて聞かせられないめちゃくちゃな英語(broken english)を喋っている為に、プロの科学者と英語で議論するには相当の疲労が予想されるからだ。



ちょっと弁解させてほしい。こちらで流暢な英語をしゃべっても、実は通じない。特に私のスタッフは英語が不得手だから、イギリス人よろしくのシェイクスピアの言い回しや(私の英語の師匠はイギリス人だ)、映画で覚えた名台詞なども全然通じない。業務を進める為にと、中学生なみの英語や意味さえ通じれば良い英語をめちゃめちゃに話していたのだ。そのうちに、私もきちんとした英語が何なのか分からなくなっている。正直に白状すれば、元々の私の英語も中学生レベルなのだ。だから、むしろこちらの出張よりも、研究所の会議に出席する方が緊張するのだ。なぜかは知らないが、私以外のプロの科学者は例外無く英語が流暢なのだ。



それもこれも、無事にナイジェリアに着いてからの話だ。飛び立てないのでは話にならない。仕方がない、直接航空会社の窓口に行って事情を聞こう。場合によってはフライトの変更が必要なようだ。まあ、これがアフリカだ、押さえろ俺。



「じゃあ、明日そちらに行くから、詳しく事情を説明してもらおう。ちなみに明日はタバスキだけど、窓口は開いてるよね?」


「わかりました。開いています。」




タバスキ(犠牲祭)とはご存知の方もいるだろうが、イスラム教徒の大きなセレモニーだ。ラマダン(断食月)が明けて一ヶ月と十日後に行われる祭りで、別名を「羊祭り」とも言うそうだ。旧約聖書アブラハムが信仰の証として息子を生け贄に捧げた事に由来するそうだ。なぜ旧約聖書イスラム教が関係しているのか?、と疑問の方もいるかもしれない。補足すると、キリスト教ユダヤ教を起源としていることは良く知られている。実はイスラム教も元々はユダヤ教から派生したのだ。従って、以外かも知れないが、イスラム教とキリスト教は兄弟みたいなものなのだ。誰を救世主(メシア)と定義するかで宗派が異なる。もっと厳密な違いやそれぞれの生い立ちについては他本に譲る。


ムスリムの家の長は、資金力に応じて、羊を最低でも一匹は神に捧げなくてはいけない。お金のない人は代わりにヤギや鶏を代替しても良いことになっているらしい。ここサリア村の周辺ではヤギが捧げられる事が多い。犠牲となったヤギや羊、鶏は家の者や友達、そして貧しい者達に振る舞われる。家長は時として、料理に手をつけずに他の者に振る舞う事でその責務を果たしたりもするそうだ。気の毒に。


ムスリムの家の長としては、男の沽券に関わる重大事であり、年に一度の肉の大盤振る舞いでもある。加えて、ここには市場原理が働く。すなわち、タバスキを見込んで家畜の売買価格が乱降下するのだ。業者に取っては間違いなく高値で売れるし、毎年必ず訪れる行事だ。さらにさらに、この時期はちょうどラマダンで受けた経済的ダメージが回復していない危険な時期でもある。なぜ「断食」中なのに金がかかるのかと、これも疑問かも知れない。実はラマダン中はご存知のように日が出ている間の飲食が禁じられる。しかし、日が沈むとそのウップンを晴らすかのように豪華な食事を食い散らかすのだ。従って、ラマダン中は逆に食費が高騰するという研究結果もある(必要な人は文献を検索してほしい)。同時に、ラマダン明けには盛大なセレモニーがあり、そこでも大量の家畜と飲み物が消費される。


場合によっては妻が4人まで許されるムスリムのことだ、その痛手は想像したくもない(イスラム教徒は4人まで妻を持てるが、原則としてすべての妻を平等に扱う義務がある)。




「さて、オノはクリスチャンだから交渉に問題は無いだろう。・・・・しまった!!」



そう、肝心のドライバーのヌフはイスラム教徒(ムスリム)だった。しかも、運の悪い事にSaria stationにいるドライバーはすべてムスリムだった。つまり、明日のワガへの移動手段が無いのだ。何日も前から、この日に備えてヤギの調達や新調した服の話をしていたのを思い出す。う〜ん、困ったな。仕事だからとごり押しはできる。私にはその身分と資格があった。しかし、スタッフへの配慮も重要な仕事のひとつだ。特にムスリムの男達はプライドが高く、それを傷つけるのは避けねばなるまい。




仕方なしに、初めて「高速バス」を使う事にした。オノにバスのチケットを手配させ、ヌフを呼び出す。フライトの状況を簡単に説明し、明日の朝、私をPoa (Saria村から一番近いバス停留所のあるところ)までで良いから送ってくれと頼む。ヌフも私の事情を察し、不承不承ながらうなずいた。すまんね。




言いようの無い、嫌な予感というやつだ、不安があった。しかし手早く旅の支度を整え、早起きに備えて就寝する事にした。ここでは自分でさっさと動いて事態を動かさないといつまでたっても何も前進しない。やると決めたら、とことん、シツコク、最後まで、が私のポリシーだ。もうサイは投げられたのだ。やるしかない。



「これは予想以上だ。」



普段は閑散としているPoaの停留所付近に着飾った人々が溢れていた。バスを待つ私とオノは宗教が違うから、よくわからないが、他の人々は祭りに胸を躍らせる子供のようだ。実際に笑い合う子供の姿も多い。皆、バスをまつ私に笑顔で挨拶してくれる。うん、こういうのは良いね。こっちまで楽しい気持ちになる。









「あ、バスが来ましたよドクター」


「お、時間通りじゃないか、関心関心・・・・・・・・」



到着しようとしているバスには、フロントガラスが無かった。屋根にはバイクとヤギが乗っかっている。うん、冷房は期待できないみたいだ。気温は35℃を超えている。お祭りには良い日和だ。